2019年1・2月

砂浜の手こぎボート

 だれしも生まれてから3年間は赤ん坊の状態にあります。
誰かがおっぱいを飲ませてくれないと、自分で飲むことはできません。暖かなベッドを用意されなければ寒さで死んでしまいます。
 おしめを取り替えてくれたり、数時間ごとに寝返りを打たせてくれなければ床ずれして背中がくさります。

教育もそうでしょう。独学?それとも学校の先生から教わった?最初の仕事は自分が作り出した仕事だろうか?その次の仕事は?
 もっていないものはあるかもしれないけど、自分が想像すらできないほど、たくさんのものを授かっているということなのでしょう。

ある家に絵が壁にかけられていました。そこに描かれているのは、不格好な手こぎボートです。普通のボートの3倍くらいの大きさの底が平らで平たいものでした。オール受けから砂浜上に投げ出されている2本のオールはいかにも元気がない。潮も引いています。
 絵のすみの方に遠くの波打ち際が見えます。全体の印象としては、少し暗い感じです。砂の上の手こぎボートは押しても引いてもびくともしない感じでした。
遠く潮が引いた砂浜に、ポツンと取り残されたまま。

 けれど、この絵の一番下に次の言葉が書いてありました。
「潮はいつかまた、必ず満ちてくる」と。

今年もよろしくお願い致します!

 昨年の怪我から腰に違和感があり、なかなか山に登ろうと言う気力が薄れていましたが、ある先輩がプールに行くことを勧めてくれました。
プールの中で歩くだけで足腰の鍛錬になり、リハビリにもなるらしいので、一石二鳥の効果を信じ、2月から行くことにしました。
保護司の大先輩の坪郷先生が土地を貸しておられる桑中の前のスイミングスクールにしました。私は何かを始めるときには、先ず道具からのイプなので、水着や防寒着スリッパまで準備万端整えて申し込みに行きました。
新しい年を迎え、歩くことからはじめようと思いながら、寒さに弱い故、今日までやったり止めたりの、根性無しの生活をしており又体重が増えてしまいました。有言実行。絶対に2月からプールに行こう!

話は変わりますが、今サッカーのアジアカップがアジア首長国連邦で開催されており、私の甥がチームドクターとして帯同し、先日のオマーンとの試合中にピッチの中で日本選手に対応している姿に、思わず、頑張っているんだなと誇らしく見ていました。

次回のワールドカップには今回のアジアカップ同様、チームドクターとして帯同しますが、好きなサッカーに携われて幸せな男です。
私もプールで鍛えて好きな登山に行きたいものです。
今年もよろしくお願い致します。

<中村明人>

働くことの喜び

皆様、明けましておめでとうございます。私事で恐縮ですが、小生、今年の4月で齢68歳になります。持病(リュウマチ)はありますが、日々、楽しく過ごせています。
  『日残りて、昏るるに未だ遠し』
 これは、藤沢周平先生の作品「三屋清左衛門残日録」にでてくる一説です。

 江戸時代、東北の小藩の重役を勤めた主人公三屋清左衛門が長男に家督を譲り隠居します。平和な日々ですが、なにもすることがなく隠居生活になんとも言えないむなしさを感じているところから、物語はスタートします。やがて、生活の中で、生きがいを見つけ、藩の政権争いにも巻き込まれるなどして、次第に活力を取り戻していきます。老いゆく日々の命のかがやきを描いた作品です。

小生も、65歳になったとき、年金生活に入る予定でしたが、思いがけず、当社で働くよう声を掛けていただきました。迷いましたが、働かさせていただくこととしました。当初は戸惑いましたが、今では、仕事にもなれ楽しく働かせていただいています。30年ぶりに故郷に帰りましたので恩返しの意味でも地元自治会の世話もさせていただいています。働くことが楽しく活力のある日々を過ごせています。
 まだ、少しは社会に役立つことができるのではなかろうかと自負し、働けることに感謝しています。「体力」、「気力」の維持に心がけ、「少しの努力」を続けたいと思っています。

<林 充夫>

流砂

 サムエル・A・マンという若者が山野を歩き回っていたときのことだ。湿地帯を通って近道をしようと考えたサムエルは、腰まであるズボンのようなブーツをはいて、ぬかるみの中を四苦八苦しながら進んでいった。
 ある地点まで来ると、一見したところ乾燥しているような砂地に出た。そこを渡ろうと一歩踏み出したとたん、サムエルの体は突然砂の中に引きずりこまれて、膝まで砂に埋まってしまった。あわてて抜け出そうとしたが、足に砂がまとわりついて、かえって体は沈みこんでしまった。

 瞬間、恐怖のきわでサムエルは悟った。これがあの流砂か。サムエルの耳元に地元の人が噂していた声が聞こえた。
「いったん流砂につかまったら最後、二度とそこからはいあがれない」
サムエルは我を失った。必死でもがいた。もがけばもがくほど体は砂の中に沈んでいった。

 そのときだ。自分の左側に生えているひとかたまりの雑草がサムエルの目にとまった。一本の葉の幅が一、二センチの雑草だ。サムエルは思った。
「あの草にとどきさえすれば……あれにつかまることができればなんとかなる」サムエルは手を伸ばした。
指先はあと一〇センチばかりのところで雑草にとどかなかった。

 サムエルにはわかっていた。あの雑草をめがけてジャンプしてしくじったら、自分はこの砂の中に消えるしかないと。けれど、何もしなかったとしても運命は同じなのだ。
 砂は、腰まであるブーツの上まできていた。

 突然、サムエルはあることに気づいた。砂が引きずりこんでいるのは自分の体ではない。むしろブーツだ。そして今は、自分の体までも引きずりこもうとしている。サムエルはふるえる指で、ブーツを腰に固定しているひもをほどいた。それから深く息を吸いこんで神に祈りを捧げると、行動を起こした。死の砂に思いきって身をしずめ、全力でそこから飛び出したのだ。

 指が雑草にとどき、何本かをつかんだ。サムエルは、ゆっくりと慎重にそれこそ死ぬ思いで体を引きよせ、ブーツから体を抜き出し、ついに堅い地面の上にはいあがった。
 サムエルは助かった。
 それは、彼が行動を起こしたからです。

ドライブレコーダー

 私は営業の立場から、車での移動が多くの時間をついやします。

最近は「あおり運転」が世間で大きく取りざたされており、自己防衛のためにドライブレコーダーをつける方が増えていると聞いています。まさしく私も、ドライブレコーダーを推奨します。
 私が最近運転をしていて、たくさんの「あっ!」を経験しました。普通にまっすぐの道を進んでいると、急に中学生の女の子2人が路地から自転車で2台並んで飛び出して道を横断しました。私は急ブレーキをかけ、女の子2人は頭をペコリと下げ、悪げもなく去って行きました。あと1秒私の車が進んでいたり、もう10km速度が速かったらと思うとぞっとしました。

 また、ある日は高齢の方が道の脇を自転車で走られていると、後ろも見ずに、斜めに道路を横断されました。これは、前からこのようなことがありましたので、最近は自転車の方が斜めに渡ることは予知して運転するようにしていますので、対応はできました。
 とにかく最近運転している時はヒヤリとすることが増えたように思います。危険予知と安全運転に気をつけ、ドライブレコーダーをつけた方が良いと思っています。

<平井 昌昭>

アレルギー

 私は小さい時からアレルギーがあり、鼻づまりがひどくストレスが常に付きまとう生活をしています。特に5月頃と10月頃の気候としては一番良い時期に悪くなる毎年です。これを少しでも軽くなるように最近始めた対策があります。
 まず、手軽に始められ、続けられる方法は何かと考え、お湯で鼻を洗う鼻うがいを始めました。入浴時に洗面器にためたお湯で行うのですが、今、半年ほど経過しています。
 結果はこれまでの鼻づまりが、ずい分改善されました。気になることが少なくなっています。
 ただ、皆さんも経験があると思いますが、鼻でお湯を吸い込む時、最初は痛みがくるので慣れるまでは苦痛でした。続けるうちに気にならなくなります。
 私にはアレルギー対策として効果が出ていると思っているので、これからも続けて行いますが、もう一つ有効なことが風邪(インフルエンザ)予防になるのではと考えます。
 毎年この時期になると、インフルエンザの流行が話題となります。
私も昨年、一昨年と2年続けてインフルエンザにかかり、仕事を休まなければなりませんでした。
 一般的に予防接種が対策となりますが、以前、予防接種を受けて体調を大きく崩した事があるので、できればしたくないのが本音であり受けていません。
 体の中に入った菌(インフルエンザ)が増殖することで発症すると思いますので夜、鼻を洗うことでリセットを行い、危険性を小さくできるのではと考えます。
 まだ、インフルエンザシーズンは続きますので、私の対策が本当に有効か試してみたいと思います。

<田村道秋>

父と母のありがたさ

 昨年は母が亡くなり、私生活での状況が大きく変化した1年となりました。まさか、父と2人暮らしになるとは…夢にも思っていませんでしたから。1日でもいいから母には父より長生きしてもらいたい、娘なら誰しもが願うことではないでしょうか?と言ったら世の中のお父さんに申し訳ありませんね。今までノータッチだった家の事、食事の支度や親戚・ご近所付き合い、すべてを母任せでしたから。

 母は几帳面な性格でしたから、毎日家計簿とちょっとした日記を書いていました。もう数十年は続けていたと思います。家計簿もお気に入りの物があり、同じ物を毎年購入しているほどでした。まだ、ゆっくり日記を読み返す気持ちにはなれていませんが、地区の行事などでご祝儀はいくら包めばよいのか?とかetc…そういう時には大変役立っています。

 でも、母が生きていた頃のようにはいかず、親戚・ご近所さんにはご迷惑のかけっぱなしです。父も高齢ではありますが、ありがたいことに元気なので私も安心して仕事やマラソンで遠征する事が出来ています。
 耳が遠いので大声で喧嘩ごしの会話になってしまい、そのまま本当の喧嘩になることも度々ですが、仲良く暮らしていく事が母への供養になるのでしょうね。
 今年の目標はとりあえず「父に優しく接する」ですかね。この『ほっと通信』が父の目に触れないことを祈ります。

<香月早苗>